歩くことと祈ることはどこか似たところがあるのではないか。
以前からそう感じていました。
宗教上の巡礼にしても日本のお遍路にしても、歩くことと祈ることはセットになっています。ただしここでは宗教的な祈りについてはふれるつもりはありません。宗教に関する素養がさほどあるわけでもなく、特定の宗教を信じているわけでもないから、そしてあまりにもテーマが大きいからです。
宗教的な祈りの多くは神や仏との対話としてとらえることが多いようですが、ここでは日常的な祈りに限定して書きます。
「お元気で」「どうかご無事で」「健康でありますように」「幸せをお祈りしています」といった限りなく挨拶に近いものも祈りの一種と言っていいでしょう。
最近「pray」という言葉もよく聞きます。『One World:Together at Home』など、新型コロナウイルス(Covid-19)関連の音楽イベントでも多くのミュージシャンが自分たちの気持ちを表す上で「pray」という単語を使っていました。音楽と祈りも限りなく近いものです。
このテーマで書こうと思った直接的なきっかけはFacebookの“7日間ブックカバーチャレンジ“という企画のバトンが回ってきて、『氷上旅日記』という本を再読したことでした。書きたいことはたくさんあったのですが、Facebookには長い文章は適しません。せっかく散歩ブログを立ち上げたのだし、『氷上旅日記』は徒歩の旅の記録でもあるので、ここで取り上げるのがふさわしいと考え、読書感想文かたがた、歩くことと祈ることについてまとめることにしました。
『氷上日記』における歩くことと祈ること
『氷上旅日記』はヴィム・ヴェンダースとも並び称されるジャーマンニューシネマの旗手、ヴェルナー・ヘルツォークが記した旅日記です。彼は急病の友(恩師の映画評論家であり、歴史家、著述家、詩人のロッテ・アイスナー)の回復を祈って、ミュンヘンからパリまで徒歩で歩きました。
期間は1974年11月23日から12月14日にかけての3週間。走行距離は700キロだから、単純計算すると、1日平均33キロ歩いたことになります。ちなみに当時、ヘルツォークは32歳、アイスナーは78歳でした。
この旅日記のまえがきにこうあります。
「ぼくが自分の足で歩いていけば、あの人は助かるんだ」
つまりこれは願掛けの旅、巡礼の旅のようなものです。「飛行機を使えばいいのに」と思うかもしれませんが、元来、願掛けとは非効率、非合理、非理性的な行動です。
ヘルツォークは雪、雨、霧、雹などの悪天候にもめげず、長時間歩行によってダメージを受けた足の痛みに耐えながら、ひたすら歩き続けました。こう書くと、『走れメロス』的な感動の美談を連想するかもしれませんが、この旅日記は特に大きな盛り上がりがあるわけではありません。
ビートニクスにも通じるようなタッチで、メモ書きのような描写が続きます。その文章が映画監督だけあって映像的で、歩くうちにあたりの景色と融合していく感覚も伝わってきます。この意識の変容の過程の描写こそがこの本の最大の魅力です。
ヘルツォークは鬼才という表現がぴったりで、現時点で長編映画を18本、ドキュメンタリーを14本制作していますが、「これは一体?」というような映画もたくさん作っています。家族で休日に楽しむにはまったく向きませんが、頭にガツンと一発来る、強烈な作品を見たいならばおすすめです。代表作はカンヌ映画祭で監督賞に輝いた『フィツカラルド』、『アギーレ/神の怒り』『ノスフェラトゥ』『彼方へ』など。
秘境、山岳地帯、洞窟、密林、極地などで撮影した作品が多数あり、それらの作品における過酷な環境と人間との調和といったテーマは、この『氷上旅日記』に流れる感覚と共通するところがあります。この本を読みながら考えた、歩くことと祈ることの共通点は次の3つです。
1.孤独の中での行為であること。
2.自我がだんだん薄れていくこと。
3.開放されて、あたりと調和、融和、同化していくこと。
それぞれ説明していきましょう。
1.孤独な行為であること。
『氷上旅日記』のまえがきでヘルツォークはこうも書いています。
「ぼくはひとりになりたかったんだ」
歩くことはひとりになること、そして祈ることもひとりになること。人とのコミュニケーションを遮断するからこそ、自分の内なる声に耳を傾けることができます。歩くことと祈ることはともに孤独な行為という点で共通していると思うのです。
2.自我がだんだん薄れていくこと。
歩くことのメリットのひとつは頭がからっぽになることです。さすがに無の境地とまではいいませんが、自我が薄れていきます。祈りも似たところがあると感じていました。
一心不乱に祈り続けることで、いつしか自我が消え去っていくからです。そうなることが目的というわけではないのですが、歩くことも祈ることもひたすら続けていくと、ある種の無我の境地に達する瞬間があります。2つのまったく異なる行為はどこかで交わっていると感じるのです。
3.開放されて、あたりと調和していくこと。
散歩コラムの初めての記事でも紹介しましたが、散歩すると、どんどん開放されて、無防備になります。祈りも人を無防備にしていくものでしょう。嘘いつわりない気持ちをさらけだすことによって成立しているものだからです。
開放することで何が起きるかというと、自然との調和です。祈りもそうした調和、融和、同化といった感覚をもたらすものなのではないでしょうか。
『氷上旅日記』でもまわりの景色と一体となっていく感覚が記されています。景色どころか、やがてカラスとも感覚を共有していました。意識の変容をうながすという点でも歩くことと祈ることは似ているのです。
我祈る、ゆえに我あり。願掛けについて思うこと。
筆者も過去に何度も願掛けを行っています。ヘルツォークみたいに何百キロも歩いたりしたわけではないのですが、毎日20キロ走る、といった程度のものはたびたびやりました。ただし筆者の場合は“困った時の神頼み”レベルの浅い行為でした。
親が重病になった時の願掛けもそうです。願掛けそのものを否定しているわけではなく、あくまでも筆者の場合に限定しての話なのですが、振り返ってみると、己の無力感や、さんざん親不孝してきた罪の意識をまぎらわすための単なる自己満足に過ぎなかったように思います。
おそらく本来の願掛けとはもっと無心で行うものでしょう。筆者のやった願掛けは実際に何の効果もありませんでした。そもそもが“効果”という言葉自体、願掛けにはそぐわないものなのかもしれません。
『氷上旅日記』におけるヘルツォークの場合はどうだったのか。ここでは書きませんが、最後の描写は彼らしく素晴らしいものでした。この旅には見事な着地点がもたらされたのです。
筆者の願掛けは意味のないものでしたが、祈りそのものに意味がないとは思っていません。若かりし日の筆者は愚か者であり(今でも十分すぎるくらい愚かですが)、祈りなんて意味がないと思っていました。神頼みとは挑戦することを諦めた人間の逃げ道なのではないかとすら考えていたのです。
しかしこの世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあることを知り、祈ることの尊さを感じるようになりました。近年、祈りの力の大きさを実感する出来事があったので、個人的な体験ではありますが紹介いたします。
祈りとは人間に与えられた大きなギフト
今から50年近く前の話になります。父方の祖父は10年近くにわたって入院生活を送っていました。小学生のころの筆者はお見舞いに行くと、囲碁を教えてもらったことを覚えています。祖父は高段者だったので、まったく相手にはなりませんでしたが。
筆者が高校のころに祖父は他界しました。
それから何十年かがすぎて近年になって、母からこんな話を聞きました。
入院していた当時、祖父が食事を絶って死のうとしたことがあったというのです。寝たきりの状態で、まったく無力であり、まわりの人間に負担をかけ続けることが耐えられないというのがその理由でした。祖父は誇り高き人だったのです。
誰かのために何かをすることができないならば、自分には生きる意味がないと祖父は語ったとのことです。母は祖父に、いつもみんなのために祈ってくれていることが、みんなにとって、大きな力になっているということを話したのだといいます。
そうか、こんな自分にもまだみんなのためにできることがあるのか。
そう気づいて、祖父はその後、さらに一層、家族・親戚のために祈ることを日課としたとのことです。その話を母から聞き、祖父が自分たちの幸せを願ってくれていたことをとてもうれしく感じました。とは言え、祖父の祈りを日常的に意識することはありませんでした。
その後、祖父の存在を身近に感じるようになった出来事がありました。
良くないことが重なる日があります。たいしたことではないのですが、いくつかの出来事が重なり、ボディブロウのように効いてきて、落ち込んでしまう日。そんな一日のダメ押しはネットで見たある文章でした。あるバンドに関して筆者が書いた本に対するコメントです。今でも文面をはっきり覚えています。
「こいつ、ごちゃごちゃ文章を書いてて、うざい。すぐにライターやめたほうがいいよ」
もともと筆者は打たれ弱いタイプで、批判や非難を引きずりがちです(正当な批判は自分を成長させてくれるものなので大歓迎なのですが、メンタルの鍛え方がまだまだ足りていません)。しかもその時はすでにかなり弱った状態だったので、ダメ押しの一撃となりました。
筆者は気分が落ち込んだ時にはよく散歩します。その日も日頃は通らない道を選んで、数時間歩き続けました。そして、こう決めたのです。最初に見かけた店に入って、食事をしよう。そしてその店の料理がうまかったら、そこで気分を立て直そう。
しばらく歩くと、見たことのないラーメン屋があったので、入りました。無愛想な店主が不機嫌そうにして、じろりとこちらを見ました。これはいけるかも。結論から言うと、その店のラーメン、激マズでした。
麺がのびていて、スープもぬるい。料理の腕が悪くても、素材の質が悪くても、おいしいものを食べてもらいたいという気持ちがほんの少しでもあれば、こんなラーメンになるはずがありません。筆者の許容範囲を大幅に超えるマズさでした。結局、半分以上残して店を出ました。
筆者の落ち込み浮上作戦はものの見事に失敗したのです。ダウナーな気持ちはかなり長く続きました。普通ならば一晩寝て、朝になれば復活するのですが、寝付きも悪く、目が覚めた時の気分も、前日に続いて最悪。
まだ外は暗く、小雨も降っていたのですが、気分を変えたかったので、ジョギングすることにしました。
30分ほど走ると、あたりが明るくなってきましたが、天気が悪いので、視界はあまりよくありません。しばらく行くとバス停があり、バスを待つ人用のベンチがあり、誰かが置き忘れたのか、小冊子が置いてありました。雨を吸って、ぶよぶよです。が、なんとなく気になって手に取ってみました。
それは囲碁の月刊誌でした。その瞬間、祖父の顔が浮かび、自分の体の中にあたたかなものが流れこんできました。自分は守られている。いつも幸せと健康を願って、祈ってもらっている。その囲碁の本が祖父からのメッセージだと感じたのです。
それからは走っている間中、涙が止まりませんでした。幸い、雨が降っていたので、どんなに頬が濡れても平気です。しかも空から降る雨と目から降る雨が重い気持ちも一緒にきれいに洗い流してくれました。
祈ってくれた相手がたとえ何十年前にこの世を去っていたとしても、祈りのパワーは消えない。祈りとは大きな力を持ったものなのだ。ささいな出来事ではありますが、自分にそう確信させるには十分でした。
祈りとは人間にもたらされた大きなギフトなのではないでしようか。そして祈りは時には音楽、文学、絵画、踊りなどの芸術へと形を変えて現れ、人が生きていく上での糧となります。
日常的な祈りであっても、大きな力となることもあります。
自分もまっさらな気持ちで、人の幸せを祈り続ける人間になりたい。ですが、まったくもって雑念だらけ、邪念だらけ。修行の日々が必要です。
歩けども歩けども、祈れども祈れども、道は果てしなく遠いようです。
コメント
神社や仏閣に行くのが好きです。
お参りして御朱印をいただき
おみくじを引くのがルーティンになってます。
直近で港区の神社2箇所に伺いました。
ルーティン通りにおみくじを引くと、おみくじには全く同じことが書かれていました。
違う日に違う神社でお祀りされている神様も違うのに、全く同じ言葉なんです。
「困った時ばかり神様を頼るな…」と。
我欲まみれの祈りだからなのでしょうか。
目に見えない大きなチカラの存在が心に沁みました。
コメントありがとうございました。
神社仏閣のあの空間、落ち着きますよね。
「困った時の神頼み」って、ついついしてしまいますよね。
神社でも、「合格祈願」「安産祈願」などのグッズ(?)をたくさん販売しているので、
人々が神様にお願いすることをむしろ奨励しているようにも感じます。
ある知人が、「神社でのお参りとは頼み事をすることではなく、お礼をいうこと」と語っていたことがあります。
なるほど、そうなのかと思ってからは、できるだけ感謝をするようにしていますが。
ただし神様がどう考えているかなんて、誰にもわからないことかもしれません。
そもそも神様が存在するのか、どうかすら、自分にはわかっていません。
なので、神様について語ることもできません。
でも祈ることって、素晴らしいことだと感じることがあります。
ゴスペルを始めとして、音楽でも祈りは大きな要素のひとつとなっているのです。
このことは語り出すとキリがないので、やめておきますが。
なかなか更新できないのですが、コメントをいただくと、書こうという気持ちになります。
今後ともよろしくお願いします。