外出自粛で出番の少なくなった靴にエールを贈る企画、“20年春の気分で選んだ「靴の歌10曲」”。文章が長くなってしまい、何度かに分けてお届けすることにしたものの、すっかり間があいてしまいました。1回目はナンシー・シナトラの「THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN’」、ソニックユースの「Dirty Boots」、大塚 愛さんの「ロケット・スニーカー」の3曲を紹介しました。4曲目はこの曲から。
4.「Wallabee Shoes」大江千里
「Wallabee Shoes」は千里さんのデビューシングル「ワラビーぬぎすてて」(1983年)のセルフカバー曲です。千里さんがデビュー35周年を記念して2018年に制作したアルバム『Boys & Girls』に収録されています。シンガーソングライター時代の曲をジャズピアニストになって、ピアノのインスト曲として35年後に演奏する試みは、おそらく音楽の歴史の中でもきわめてレアなのではないでしょうか。
20代前半の千里さんが生み出したポップでみずみずしいメロディに、これまでの人生で培ってきたスパイスやペーソスや旨味を加えての演奏。これが軽やかなのに深みがあって、実に味わい深いのです。
ミュージシャンの中には筆者に刺激を与えてくれている存在がたくさんいます。「夜の散歩をしないかね」という記事で書いた忌野清志郎さんもそうですが、大江千里さんもそんなひとりです。
筆者が初めて大江千里さんに会ったのは1983年4月19日(昔の手帳で確認)。37年以上前(!)のことです。取材場所は青山一丁目のエピックソニー(当時の千里さんの所属レコード会社)でした。筆者はティーン向けの雑誌『プチセブン』の編集者で、千里さんのデビュー・シングル「ワラビーぬぎすてて」のリリースのタイミングでの取材だったのです。22歳の千里さん、キラキラしていて、みずみずしい才能が全身からほとばしっていました。もうひとつ印象的だったのは写真撮影時のツインビルの前での千里さんのジャンプが見事だったこと(千里さんのFBで数か月前に飛んでいる姿を拝見して、変わらないジャンプ力にうれしくなりました)。
その後、90年代に入って筆者が会社を辞めてフリーランスになってからもソニー・マガジンズの『Gb』という音楽雑誌で千里さんを取材するようになりました。が、千里さんは2008年からジャズピアニストを目指して、ニューヨークに渡り、新たなキャリアをスタートさせたことによって、仕事上のつながりはなくなったのです。
ひとつの時代を築いた人間がゼロから新たな挑戦をするには相当の覚悟と勇気と努力が必要であるに違いありません。その挑戦する姿勢の素晴らしさに胸が熱くなると同時に、仕事上のつながりはなくなったものの、千里さんずっと気になる存在であり続けたのです。
2012年、東京JAZZの取材をすることになり、9月7日のthe PLAZAでジャズピアニストとしての千里さんのライブを観た時にはうれしくなると同時に、自分も頑張らねばと思ったことを覚えています。その時、ヤマハのサイトに書いたレポートがこれです。サイトはすでになくなったのですが、リンクが残っていたので、貼っておきます。
今年行われる予定だった日本でのツアーはコロナ禍によって中止となってしまいましたが、千里さんはこんな状況下でも地に足のついた音楽活動を続けています。5月にはAP通信選出の『40 songs about the coronavirus pandemic. Listen here.』(コロナ禍の中で作られた40曲)に千里さんの新曲「Togetherness」が選ばれたニュースも伝わってきました。ちなみに他に選ばれたのはローリングストーンズ、ボノ(U2)、ノラ・ジョーンズ、アリシア・キーズ、ランディ・ニューマン、アヴリル・ラヴィーン、クイーン+アダムランバート、ボン・ジョヴィ、ハイム、グロリア・エステファン、カーディ・B、ジュエルなど、錚々たる顔ぶれです。千里さんの曲の紹介文には“The Japanese pianist’s breezy instrumental track will brighten up your day”とあります。
音楽によって人々の日常の日々を照らすこと。それはデビュー当時も今も変わらず、千里さんの音楽に一貫した特徴なのではないかと思います。
また文章が長くなってしまいました。続いて紹介するのはこの曲です。
5.ジェフ・ベック「Led Boots」
ジェフ・ベックが1976年にインストゥルメンタル・アルバム『ワイヤード』を出した時はぶっ飛びました。当時、日本ではエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ、ロック界三大ギタリストと称されていたのですが、ロックからジャズロックへと、新境地を切り開いたからです。前年に出した『ブロウ・バイ・ブロウ』からさらにジャズ色を強くして1976年に発表されたのが『ワイヤード』です。
このアルバムの1曲目が「Led Boots」。赤い靴ではなくて、鉛(leadの略)の靴です。このタイトルがどんな意味を表しているのかは不明ですが、この曲を聴きながら体を揺らしていると、足をグッと地面にめり込ませるように力を入れたくなるので、感覚的にしっくりきます。ギターもシンセサイザーもベースもドラムも、どこか鉱物(メタルとはちょっと違う)的な無機質な感触があって、クールでソリッド。でもしなやかさもあって、演奏も各楽器の音色も気持ち良さの極地。
ジェフ・ベックはもちろん、メンバー全員が超絶テクで鉄壁のアンサンブルを展開。ベックのギターも冴えまくっています。ギターとベースのユニゾン、途中で入ってくる7/8拍子のリズム、全編にわたっての自在なドラムスなど、聴きどころ満載。
ちなみに演奏メンバーはクラヴィネットがこの曲の作曲者であるマックス・ミドルトン、シンセサイザーがヤン・ハマー、ベースがウィルバー・バスコム、ドラムがナラダ・マイケル・ウォルデン、プロデュースはビートルズでお馴染みのジョージ・マーティン。当時のジャズロックシーン、クロスオーバーシーンで活躍するメンバーが結集して、歴史的な名盤が誕生したのです。この「Led Boots」、上原ひとみもカバーしていますが、こちらも素晴らしく、ワイルドな演奏に血湧き肉躍ります。
続いては筆者にジャズの魅力と真髄を教えてくれたミュージシャンの曲を紹介します。
6.チャーリー・パーカー『My Little Suede Shoes 』
1955年に34歳で亡くなった天才ジャズ・アルトサックス・プレイヤー、チャーリー・パーカーの『My Little Suede Shoes』。チャーリー・パーカーはディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクとともにビ・バップ革命の推進者、モダンジャズの創始者と言われているミュージシャンです。ニックネームはバード。そのいわれには諸説あるのですが、もっとも有力なのは鳥の鳴き声のように自在にアルトサックスを奏でたから。メロディをリズムが浸食していくようなフレージングのすさまじさ、素晴らしさは驚異的です。
ジャズロックを入り口としてジャズを聴くようになった筆者はマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、チック・コリアなどから遡って、いきなりジャズの頂点とも言うべき、チャーリー・パーカーにたどり着きました。
スイングからビ・バップへ、そしてモダンジャズへというジャズの歴史の時計の針をいきなり大幅に進めたのは彼でした。様々な制約から解放されたコードとハーモニー。自在なリフ。より自由で大胆な即興演奏。そして根底にあるブルース・フィーリング。彼ほどジャズの持っている肉体性を鮮やかに体現しているミュージシャンはいないのではないでしょうか。しかも彼は音楽に対して貪欲で、冒険心と探究心と好奇心を持っていました。
『My Little Suede Shoes』はビバップにアフロキューバンジャズの要素を融合させた楽曲です。チャーリー・パーカー(as)、ウォルター・ビショツプ(p)、テディ・コティック(b)、ロイ・ヘインズ(ds)に加えて、マチート・オーケストラのホセ・マンゲル(ボンゴ)とラルフ・ミランダ(コンガ)が加わって、1951年に録音されました。ここでの彼の演奏はさほどリズミックでもトリッキーでもなく、オーソドックスです。彼自身がアフロ・キューバン・ジャズとの出会いを楽しんでいるといった様子までもが伝わってきます。
ちなみにこの曲のタイトルはスエードの靴の愛用者であり、ジャズ・レーベルのVeaveの創設者、ノーマン・グランツへのリスペクトの気持ちから付けられました。ノーマンはミュージシャンたちの良き理解者であり、ビバップへの支援、アニタ・オデイの再生、オスカー・ピーターソンの発掘など、音楽界に多大な功績を残しています。まずは曲を聴いてください。
マチート・オーケストラのアフロキューバンジャズのリズムに乗って、チャーリー・パーカーが伸びやかな演奏を披露しています。粋で軽妙でステップを踏むスエード・シューズが見えてきそうです。彼の代名詞ともいうべき、驚異的なアドリブや超人的なリフは登場しませんが、それでも独特なメロディと存在感のある音色はバードだからこそ。
しかしこの4年後には二度と彼の新たな演奏を聴くことはできなくなりました。ドラッグとアルコールの重度の中毒によって、34歳でこの世を去ったのです。彼の壮絶な生涯はクリント・イーストウッドによる映画『バード』でも描かれています。ちなみイーストウッドがジャズ・ファンになったきっかけはチャーリー・パーカーの演奏を生で観た経験だったとのこと。
ジャズの様々な制約を解き放ったモダンジャズの創始者ともいうべきチャーリー・パーカーですが、彼の死後、フォロワーが出ていないことからも彼がいかに際立った才能の持ち主だったかがわかります。先駆者にして革命家にして異端者。彼のように自在に奏でることができるのは人間ではなく鳥のみです。
彼の鳥がさえずるような自在な演奏は時代を経ても色褪せることはありません。数秒間のリフ一発で一瞬にして至福の境地へ連れていってくれる。筆者にとってはチャーリー・パーカーは音楽の効果が体や脳に表れるまでの時間の、永遠の最速記録保持者なのです。
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