20年春の気分で選んだ「靴の歌10曲」出番なき靴へのエール①

聴く

散歩ブログを立ち上げて、さあ思う存分、散歩をお勧めするぞと意気ごんでいたら、外出自粛という事態になってしまいました。どうしたものかと思案中に、玄関に並んだ靴とふと目が合ったような気が。靴たちも“Stay Home”でめっきり出番が減り、心なしか寂しそう。どこかアンニュイで所在なさげです。

というわけで、今回は靴を元気づけるため(?)、散歩と音楽というのふたつのテーマを合体させ、2020年春の気分で選んだ「靴の歌10曲」というコラムをお届けします。

靴の歌ですぐに思い浮かぶのはチューリップの「虹とスニーカーの頃」と「魔法の黄色い靴」、近藤真彦の「スニーカーブルース」、太田裕美の「赤いハイール」、南佳隆の「カウボーイ・ブーツとハイヒール」などなど。えっ、古い? 油断すると、昭和男丸出しの選曲になってしまいそうです。

“新しいのだって聴いてらい!”とムキに考えて出てきたのがRun-D.M.C.の「My adidas」。リリースが1986年なので立派な昭和の歌でした。“えっ、そんなに昔のことだったっけ”と一瞬、遠い目に。その後、数日間考えて書き出したらどんどん出てきて、逆に10曲に絞るのが大変になりました。

選んだ基準は次の5つです。

(1)靴、もしくは靴の種類がタイトルに入ってる曲。※Mr.Childrenの「靴ひも」は好きな曲で、語りたいこともあるのですが、“ひも”なので惜しくも除外です。

(2)個人的な思い入りが強く、過去から現在まで、さんざん聴いてきた曲

(3)単純に作品として素晴らしい曲

(4)なんだったらオンライン飲み会でも開いて、ひと晩中でも語りたい、思い入れの強い曲

(5)最近、自分内ブームとなっていてよく聴いている曲

どれかひとつ、あるいは複数の項目に当てはまるものの中から今の気分を重視して10曲選びました。

ジャンルもバラバラ、年代もバラバラ。共通項は靴がタイトルに入っていること筆者が選んだということだけです。

順位はつけられませんが、便宜的にカウントするためにタイトルの前に数字を入れてあります。書き出したら、どんどん長くなってしまったため、複数回に分けてお届けします。書き出すと、止まりません。年寄りは話が長いといいますが、どうやら文章にも当てはまるようです。興味のある曲だけでも読んでいただけると、幸いです。

それではさっそく紹介しましょう。

1曲目は「THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN’」です。日本でも石橋貴明さんと中居正広さんの音楽番組『うたばん』のエンディングで使われていたので、知っている人も多いのではないでしょうか。

1.「THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN’」ナンシー・シナトラ

この曲は1966年にリリースされ、ビルボード1位を記録する大ヒットとなりました。歌っているのはフランク・シナトラの娘、ナンシー・シナトラ。当時はモータウンやガールポップ全盛期で、良質なポップスが数多く世に出ていた時期ですが、この曲はその中でも屈指の、そして画期的な名曲です。当時のミュージック・ビデオはこんな感じ。

ミニスカ&ブーツのナンシー・シナトラがあまりにもセクシーなので、お色気路線、売れ線狙いの曲と思われるかもしれませんが、そうではありません。アイドルポップス的な要素もあるのですが、1960年代後半の女性解放運動の始まりを象徴する曲でもあります。その多面性がこの曲の懐の深いところです。この曲が出た時には筆者はすでに生まれていましたが、リアルタイムでは聴いていません。

70年代初頭にシンガーソングライターのキャロル・キングが好きになり、彼女の60年代の作家時代の音楽に遡り、ガールポップにたどりつき、その流れからこの曲を知り、初めて聴いた瞬間に大好きな曲になりました。

詞も曲も歌もアレンジも演奏もいいのですが、まずタイトルが秀逸です。「THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN’」を直訳すると、“これらのブーツは歩くために作られている”といったところでしょうか。当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、つい深読みしたくなる、思わせぶりなタイトルになっています。ちなみに邦題は「にくい貴方」。言葉づかいが演歌、もしくは60年代っぽいです。

この邦題、歌詞の内容に沿っていないわけではありません。浮気男に苦しめられた女性が最後にはその浮気男をブーツで踏みつけて、颯爽と前に進んでいくという内容の歌詞になっているからです(浮気男って、どこかでさんざん聞いたような話だなぁ)。

恋の歌でありながら、同時に当時のアメリカの女性解放運動の機運の高まりとリンクしているところがポイントです。1966年といえば、ベトナム戦争のさなか。大国が小国を力でねじふせるやり方が通用しないこと明らかになった時期。ベトナム戦争反対、女性解放運動、反人種差別運動など、既成の価値観を覆す機運が高まった時期の曲なのです。この曲はスタンリー・キューブリック監督によるベトナム戦争を題材とした映画『フルメタル・ジャケット』(1987年制作)の中でも使われています。

半音ずつ下がるベースで始まり、ナンシー・シナトラのやや舌足らずな歌が始まります。決して歌が上手いとは言えないのですが、不思議なニュアンスがあります。キュートさの背後にタフさ、したたかが見え隠れする感じ。曲調は軽快でポップ。でもメロディアスになりすぎず、抑制が効いています。グッと溜めた分だけ、後半のダイナミックな展開との対比が鮮やかになります。

「Are you ready boots?」という彼女の声を合図にトランペットが鳴り響き、曲は戦闘モードに入ります。まるで彼女がブーツを率いて革命を起こす、といった高揚感が漂うのです。イントロからアウトロまで、見事です。

作詞・作曲はカントリーシンガーでもあるリー・ヘイゼルウッド。“ザ・ヴォイス”と称されたアメリカのエンターテインメント界のキング、フランク・シナトラから「娘のために曲を書いてくれ」と依頼されたといいます。ヘタな曲を書いたら命がない、くらいのプレッシャーがあったのではないでしょうか。実際に曲も詞も完璧です。

この曲、数多くの人たちがカバーしています。同時代のスター、スプリームス、カントリー歌手のロレッタ・リン、シャンソン歌手のダリダ、ヘビメタバンドのメガディス、日本の演歌歌手の八代亜紀まで。カバーが様々なジャンルに及んでいるのは、それだけこの曲に揺るぎない魅力があるからでしょう。

長い記事になりそうです。そろそろ2曲目にいってみましょう。筆者の大好きなバンド、オルタナティブロックのパイオニア、ソニックユースの曲です。

2.「Dirty Boots」ソニックユース

ソニックユースは筆者にノイズの美しさを教えてくれたバンドです。彼らにも靴の歌があります。彼らの6枚目のアルバムにして、メジャーデビューアルバム『Goo』の1曲目に収録されている「Dirty Boots」です。『Goo』は90年代のオルタナティブ・ロックの潮流を生み出すきっかけとなった歴史的な名盤で、今もまったく色褪せていません。もし仮に筆者が記憶喪失になり、この作品に関する記憶を一切失って新たに聴いたら、2020年の今でも衝撃を受けるに違いありません。本当にすごいものは時代を超越します。ソニックユースについて語り出したら、軽く10万字は越えてしまうので、ここは抑えて極力簡単に。

1981年にニューヨークで結成されたバンドで、サーストン・ムーア(ギター、ボーカル)、キム・ゴードン(ベース、ギター、ボーカル)、リー・ラナルド(ギター、ボーカル)の3人で結成され、のちにスティーヴ・シェリー(ドラム)が加わり、4人を中心に活動を続けてきました。このバンドの大きな特徴はサーストン・ムーアキム・ゴードンというとんでもない才能を持ったふたりのツートップ体制であることでしょう。ふたりはプライベートでもパートナーでしたが、2011年に離婚。それに伴い、バンドも解散しました。

キム・ゴードンが2014年に出した自伝『GIRL IN A BAND』で解散の要因のひとつがサーストンの浮気にあったことが暴露されています。音楽には関係ないことですが、ちょっと残念でした。ソニックユースには世俗の出来事を超越したバンドでいてほしかったからです。

彼らの音楽は唯一無二のオリジナリティーを持っています。筆者が彼らを知ったのはインディーズ時代の最後のアルバム『Daydream Nation』(1988年)から。自分の中にある“ロック”への渇望を見事に満たしてくれる素晴らしい作品であったため、一気にソニックユースにのめりこみました。

80年代の音楽自体は豊潤であり、MTVと連動した良質なポップミュージックが数多く生まれ、エレポップ、ブラックコンテンポラリー、ヒップホップの台頭など、クリエイティブな動きがたくさんありました。ポリス、トーキングヘッズ、U2、R.E.M.、エルヴィス・コステロなど、個々にみると、ロックの要素を備えたミュージシャンたちが素晴らしい作品をたくさん生み出していたのですが、“なんじゃこりゃあ!”という得体のしれない“ロック”と出会うことがほとんどありませんでした。そんな時に出会ったのがソニックユースです。

彼らの何が革新的だったのか。それはノイズです。そうか、ノイズってこんなに美しいものだったのか。彼らの音楽を聴いて、何度も目からウロコが落ちました。ノイズの何が素晴らしいかというと、まず予測不能、制御不能なところです。一般的には、音楽を極めてるほどに洗練されていきます。そして完璧なる制御を目指す傾向があります。しかしながら演奏者がすべての音を見事にコントロールして作り上げたスキのない作品が、おもしろみにかけるケースは少なくありません。もちろん完成度の高い音楽はそれだけで賛美されるべきですし、創造において完全主義者であることは美徳です。

ですが、アートにおいて、過剰にコントロールされたものはむしろマイナス要因になる場合が多いのです。文学ならばビートニクス。美術ならばシュールレアリスム。自由度が高く、偶然性を取り込むことが作品を別の次元へと飛躍させます。音楽も同じです。ノイズはそうしたコントロールされた音楽とは真逆の要素です。

ノイズを鳴らすことは楽器を解き放つこと電気音の自立性を尊重すること人間が全能ではないと察知すること。その結果、人と楽器との即興演奏、セッションのような自由度の高いスリリングな音楽が生まるのです。鳴らされた音はどれも再現不可能で、その瞬間にしか出現しません。ノイズが美しいのは一瞬のものだから。そして作為や意図を超えたものだから。ノイズとは人と電気とのセッションでもあると思うのです。

世の中には素晴らしいメロディがたくさんありますが、作り手の意図が前面に出すぎると、冷めてしまうことがあります。もちろんノイズだって、機材セッティングの経験則によって、ある程度、イメージした音に近いものを出すことは可能でしょう。ただし、それはあくまでもニアリーであって、イコールではありません。

道に例えるならば、“この道を行こう”ではなく、“あっちに行ってみようか”くらいのざっくりとした余白がノイズにはあるのです。ソニックユースはイメージした音を作りだすのではなく、イメージを超えた音を生み出す音楽実験工房みたいなバンドでした。

ただし理屈っぽかったり、小難しかったりするわけではありません。ソニックユースの生み出すノイズはきわめてシンプルなものでした。

今はデジタルミュージックが全盛で、ノイズさえもが切り貼りされ、管理されています。一方、ソニックユースのノイズはきわめてアナログです。

安いギターを手に入れて、様々な改造を施し、弦の間にドライバーを突っ込んだり、スティックを挟んだり、あちこちにヘンテコな素材を貼ったり。チューニングもひたすら変則的で、6弦ともがAだったり、低いほうの4弦をすべてFシャープにして5、6弦をオクターブさげたり、様々なチューニングをし、そのギターに合わせて曲を作ったのです。ギター1本につき1曲作る、みたいなやり方。初期のライブでは曲の数だけギターが必要になるので、ギターを山ほど並べていたとのことです。ひたすら実験的な音楽を作っていた彼らですが、1990年にメジャーのゲフィンと契約して、実験的でありつつ、ポップでロックであることも両立したアルバムを完成させました。

その作品が『Goo』であり、新たなチャレンジの始まりを告げるのが1曲目の「Dirty Boots」です。前置きが長くなりました。MVをご覧下さい。

かすかなノイズにギターのアルペジオが乗っかり、この曲はスタートします。60年代末のロックの匂いを感じさせながらも、サウンドの質感はクールで陰鬱です。

ソニックユースにはボーカルが3人いますが、この曲はサーストン・ムーアが担当。始まりのフレーズは“Here we go another candle”です。“さあ、別のロウソクを目指しに行こう”といったところでしょうか。このロウソクは何を意味するのか。実はこの『Goo』の前の作品、インディーズでの最後の『Daydream Nation』のジャケットでモチーフとして使われていたのがロウソクの写真でした。ロウソクは光の象徴であり、灯台にも通じるところがあります。インディーズからメジャーへと移籍して、新たな目的地を目指すという宣言、そんなニュアンスを感じさせる曲なのです。

曲調も60年代のロックのエッセンスを取り入れつつも、実験的なノイズ・ミュージックの良さを加えた斬新なサウンドになっていて、90年代の新しい“ロック”を生み出していくのだ、切り拓いていくのだという気概までもが伝わってきます。“Dirty Boots”とは泥んこまみれのぬかるみの中を進んでいく決意の象徴なのです。

アメリカではソニックユースが登場して1年ちょっとして、ニルヴァーナが大ブレイクし、さらにダイナソーJrパール・ジャムが人気を集め、世界の音楽地図は一変しました。オルタナティブロック、グランジロックがシーンを席巻したのです。同時期にイギリスではストーン・ローゼズが登場して、“セカンド・サマー・オブ・ラブ”のムーブメントが起こり、ダンスとロックとが融合したバンドがたくさん登場しました。さらにレディオヘッドオアシスブラーなどが登場。音楽シーンは新たな段階へと突入しました。つまり“ロック”は再び目覚めたのです。ロックは死んだのではなく、しばらくの期間、寝ていただけでした。

MVについてもふれておきましょう。撮影されたのはニューヨークのbeowulfというライブハウス。ネットで検索して出てきたアドレスにアクセスできなかったので、おそらく現在は営業していないと思われます。このMV、ソニックユースによる演奏シーンと観客の男女のやり取りとが映し出されています。ライブハウスでナンパといったシチュエーションでしょうか。ここで登場する少女が着ているのはニルヴァーナのTシャツです。その後、全世界で大成功を収めたわけですが、この時点ではまったくの無名。ソニックユースが後輩バンドのニルヴァーナをバックアップしていたのです。ロックTシャツというさりげないやり方で応援するところもニクいです。

「Dirty Boots」には先駆者だけが持っている強い“意志”と“ビジョン”のエネルギーがみなぎっています。ブーツの入った曲が2曲続きました。次はスニーカーの入った曲です。ソニックユースに続いてはこの曲です。

3.「ロケット・スニーカー」大塚 愛

大塚 愛さんの「ロケット・スニーカー」は外出自粛になるちょっと前の時期に、散歩をしながらさんざん聴いていました。オリジナルは2008年5月21日にシングル曲としてリリースされています。個人的には、今年3月11日にリリースされたライブピアノ弾き語りアルバム『Aio Piano Arioso』収録のライブバージョンが特にお気に入りです。

月刊ピアノという雑誌でこの『Aio Piano Arioso』をテーマとした取材をする機会があり、取材準備の一環で聴いて、すっかり魅了させられたのです。

インタビューの詳細は月刊ピアノ5月号(4月20日発売)に掲載されてます。興味のある方は読んでみて下さい(同じ号でH ZETTRIOのカバーアルバム『SPEED MUSIC ソクドノオンガク vol.1』インタビューも担当しました。こちらの記事も興味のある方はぜひ)。

話を「ロケット・スニーカー」に戻しましょう。ライブピアノ弾き語りアルバムに収録されているのと同じ“LOVE HONEY TOUR 2017”のライブ映像がYou Tubeのエイベックス公式チャンネルにあります。まずはご覧ください。

抑制の効いた静かな始まり方です。オリジナル・バージョンはバンドサウンドが全面的にフィーチャーされた躍動感と爽快感と疾走感あふれるポップな曲調なので、正反対と言いたくなるくらい違います。出だしのピアノはどこかゴスペルに通じるようなニュアンスがあります。静かな始まり方でありながら、しっかり肉体性も備えているところがポイントです。ピアノの指のタッチからは一歩一歩を刻んでいくステップのような確かな感触も伝わってきます。

Bメロが終わったところで、一瞬の間があります。この静寂はホップ・ステップ・ジャンプのポップにあたります。その後、“ポーン”とピアノの音がひとつだけ鳴り響きます。この瞬間に、やられました。聴き手も一緒に跳躍する感覚を共有できるのです。

そして“地球からステップ踏んで”という歌詞が入ってきます。2コーラス目は後半になるほど、エネルギーがみなぎり、躍動感と開放感があふれだします。そして地球からステップして一気に大空へ。歌とピアノによるシンプルな構成なのに、こんなにもダイナミックに展開していくところが見事です。

歌詞の内容はスニーカーという比喩を使いながら、人生をともに歩いていくことの喜び、かけがえのなさが描かれています。“地球からステップ踏んで”という表現をすることによって、地球を歩くことの気持ち良さも伝わってきます。パーソナルなことと地球規模のことがぴったりと重なっています。

この曲の素晴らしさは内省的な視線を持ちながら、地球、大空、ロケットという圧倒的な大きな視線も兼ね備えているところにあります。ひとつの曲の中で、二つのベクトルが共存し、共鳴しあっているのです。

大塚 愛さんの歌もピアノもヒューマン歩くことは生きること。そんなニュアンスも感じとれます。

この曲の本質はバンドを交えたオリジナルバージョンよりも、むしろこのピアノの弾き語りで際立っているとさえ感じます。アルバム全体に漂っている特別な空気とも調和しています。この『Aio Piano Arioso』は東日本大震災が起こったのと同じ日、3月11日にリリースされました。「ロケット・スニーカー」の前の曲、アルバムの1曲目は大塚 愛さんが2011年に配信でリリースした曲「ヒカリ」です。このアルバムに収録されているのは2014年のツアーの演奏。ここでの温かな歌とピアノも深く染みこんできて、祈りの歌といいたくなりました。この感覚は「ロケット・スニーカー」の冒頭へと受け継がれています。演奏された年代は違うし、この曲順で演奏されたわけでもないのに、こうして並んでいると、大きな流れのようなものを感じるのです。

この事態が収束して、気兼ねなく散歩ができるようになったら、「ロケット・スニーカー」を聴きながら、思う存分、“地球っこ”であることの尊さを感じたいものです。心配なのは、ずっと家にいて慢性的な運動不足のため、この曲に合わせて軽やかなステップが踏めるだろうかということ。

息切れしたロケット。それではこの歌にそぐわなくなってしまいます。

想定していたよりも長い記事となってしまいました。文章もこのあたりで区切ります。4位以降はまた次回の記事で。2020年春の気分で選んだ「靴の歌10曲」、引き続き、ロック、ジャズ、ポップスなど、幅広い選曲でお届けする予定です。

よろしくおつきあいください。

コメント

  1. ナンシーシナトラの曲を気まぐれに調べてここにたどり着きました。ソニックユースのダーティブーツ熱さと魂込めて話されていてノイズ嫌いでしたが電気と人間の融合寄り添い、なんだか聴いてみたくなりましたノイズを、音楽と文章愛されていますね読み応えありましたニルバーナのTシャツ話しも良かったです

  2. なんとかスニーカー分からん